【エッセイ】母と、母になる妹と、『母になること』を話した日
会いたい時に、いつでも会える――。多くの人がきっとそう思っていた "家族"という存在。その家族と自由に過ごすことができないもどかしい時間も、それぞれが懸命に日々の生活を続けていました。そばにいても、離れていても、大切な人たち。Lideaはいつでも日本中の家族の暮らしや絆を応援したい。コロナ禍になって迎える2度目の「母の日」に、コラムニスト・りょかちさんによるエッセイをお届けします。
3月のある日のことだ。
「ああ、お姉ちゃん、見える?」
妹のあっちゃんが、自分のスマホでビデオ通話をつないでくれる。お母さんとあっちゃんが画面から見切れて半分ずつ顔が見えている。背景は、見慣れたキッチンだ。高校時代からよく知っている炊飯器とレンジとトースターもこちらを覗き込んでいた。
「最近元気にしてるんか?」
家族と話す時、少し照れるようになったのはいつ頃からだろう。私は関西人だけど普段ほとんど関西弁を話さないから、東京にいながら関西弁を使うだけで少し照れてしまう。
「元気やで〜コロナで7キロくらい太ったわ」
「ほんまかいな」
「7キロてまた、すごいな〜」
母は私が知らない新しい服を着ている。出産間近の妹はというと、さらに大きくなったお腹を見せてくれる。相変わらず元気にしている愛犬は、私と同じく少し太ったようだ。変わらない場所だけれど、刻々と、いろんなことが変わっている。
最近の話をするだけでも話題が溢れているのは、それだけ会えていないということ。
世界中で多くの家族がそうであるように、私も故郷に住む家族にほとんど会えていない一年だった。
妹の妊娠もスマホ越しに知ったし、それから会えたのはたった一度だけ。家族の顔を見たのは、お正月のビデオ通話が最後だ。我が家に新たなメンバーがやってくる前の、みんなで未来の喜びを育み愛でる、その愛おしい時間をあまり体感できていないことを、惜しく感じていた。
だから、妹が母になるその前に、母が祖母になるその前に、母の日に欲しい物を聞くことにかこつけて「ビデオ通話で教えてよ」と持ちかけ、「プレ母の日」として顔を見て話せる機会を作ろうと思ったのである。母と妹と私(父は仕事だった)、女三人で話すのは、去年の10月以来だった。
「あっちゃん、産休楽しんでる?」
「お母さんと家で映画見たりして楽しんでるで。なあ、お母さん?」
「おかげさまで、今まで知らんかった世界をいっぱい教えてもらったわ。あっちゃんに子どもが生まれて離れて暮らすようになる前に、こういう時間が持ててよかった」
京都の実家で暮らす家族は、この、室内に閉じ込められていた期間に、家族水入らずの時間を存分に味わっていたようだ。少し羨ましくも、ホッとした気持ちになった。
話題は、自然と妹が「母になること」へと傾いていく。
母は、「小さい頃から、りょうちゃん(私)もあっちゃんも、婦人科に通うことも多かったから、正直『赤ちゃんができにくい身体に生んでしまってたらごめんな』って思っててん。だから無事に赤ちゃんができたとき、『よかった』って思ったよ」と話した。そんな心配があったことを私は知らなかったが、母の心配はいつも、私たちが想像するよりも深い。
「お母さんになって変わったことって何?」と聞いたときには、「『仕方ない』ってことに向き合えるようになったことかな」と答えた。
母は続ける。
「独身の頃は仕事でも家事でも、『いつまでにこれをやる』『◯◯ができるようになる』とか、自分の頑張りで解決することが多かったやん。でも、子ども相手やと『どうしようもない』ってことがあるのよ。何かができないってことだけじゃない。ああなってほしい、こうなったほうがいいと自分だけが思いこんでも、そうならへんこともある。それが頭の中で理解できていると、落ち込むだけじゃなくて『じゃあ、どうしようか』を考えられるようになる」
そして、母になる妹にこうも話した。
「自分の子どもが1歳になったら、お母さん1年生、10歳になったら10年生と思わなあかん。自分がこれだけの年齢だから、大人だから、『これくらいのことができないとだめなんや、お母さんとして』と思ったらしんどくなるから。色んなことが起こるから、『こんなことが起こんの?』って楽しんで育児してほしいと思うかな。楽しい気持ちでやろうとするとそれだけでラクやから。自分でやってきてそう思うからさ」
その言葉には、母がこれまで私たちを育ててきた時間が詰まっていた。私が小さな子どもだったあの日が、頭をよぎる。自分でもうまくいかなくて悔しかった日、期待通りにはできなくてもどうしてもやりたいことがあった日。
だからこそ、母にこそなっていないものの、大人になった私は妹が語った言葉に共感した。
「お母さんになる準備をしていて色々調べれば調べるほど、どれだけ大事にされて育ったかわかる、ありがとう」
母は、その言葉をにこにこしながら静かに聞いていた。
子どもがいてもいなくても、結婚していてもしていなくても、大人になればなるほど、両親がしてくれたことのありがたさが理解できるようになっていく。
例えば、在宅勤務になって自炊を日常的にするようになり、”料理は愛だ”と知った。出汁をとるだとか、下味をつけておくだとか、煮込むだとか細かく切るだとか、料理を作るためにはかなり細かい工程がある。それを、「おいしいものを食べさせたい」と、忙しい日常の中で取り組む人の、尊さ。恥ずかしながら、自分で働きながら、真面目に料理をするようになってからしか気づけなかった。
それにもう少し若かった頃、家族というものは、子どもが小さい時のほうが楽しいと思っていた。小さな身体の子どもが少しずつ成長していく姿に感動したり、家族でテーマパークに行ったり、受験というドラマがあったり。どんな時代も子どもが育っていく姿はドラマチックだ。子育てしている友人たちのSNSを見ていても思う。
だけど今は、子どもが大きくなった後の家族もすごく楽しいものだと感じることが増えた。例えば、今日。母になる妹と、「母」について語ることができている今日がまさにそんな時間だ。昔は行けなかった落ち着いた旅館に家族で行ったり、映画について語り合ったりすることもできるようになった。子どもがオトナになっても、家族にはきらめくような瞬間がたくさんある。
「そういえば、ちょっと気が早いけど母の日に欲しい物とかある?」
「そうやな、りょうちゃんがインスタに載せてた低温調理器が気になってる」
こんな時にも、家族で使えるものをリクエストするのが母らしいと思った。けれど、私が贈ったプレゼントで、家族の食卓が楽しくなるなら嬉しい。
「それじゃあまた連絡するわ、生まれたら写真送ってな〜」
「はいはい。次帰ってくる日決まったら教えて」
私たちは、京都から東京に帰ってくる新幹線のホームでさよならするみたいに、ビデオ通話を終えた。どこかあっさりとごきげんなさよならをするのは、きっと次に顔を合わせる機会もすぐだと思っているからだ。
さらさらと静かに、しかし確実に、家族の時間は過ぎていく。相変わらず、世の中は会ったり、話したりすることを疎ましがるけれど、我々の持てる意志とテクノロジーでむしろ楽しみながら抗って、その時間を少しでも味わっていたい。世の中に決められた「◯◯の日」だけでなく、「プレ◯◯の日」だとか、もはやなんでもない日にでも。
次の機会には、妹の子どもの顔を見ることにかこつけて、ビデオ通話をしてみようと思う。その次は、低温調理器で作った料理でも見せてもらうことにしよう。
妹さんが母になる特別な春に、母の日エッセイを綴ってくださった、りょかちさん。家族を思う気持ちや、何気ないやりとりの尊さをより強く実感されたようです。
一緒にいることが当たり前だと、つい忘れてしまいがちな家族のありがたみ。今年の母の日は、いつもは照れくさくて口にすることができない感謝の気持ちをしっかりと伝えてみてはいかがでしょうか。Lideaは、これからも全ての家族の暮らしを応援します。
イラスト:今井夏子
編集:ノオト
・当記事に掲載の情報は、執筆者の個人的見解で、ライオン株式会社の見解を示すものではありません。
この記事を書いた人
りょかち
新卒でIT企業に入社し、WEBサービスの企画開発・マーケティングに従事。コラムのみならず、エッセイ・脚本・コピー制作も行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎刊)。その他、幻冬舎、宣伝会議(アドタイ)などで連載。
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