花粉症を認めない男VS僧侶。僧侶の話で、彼は自分の心に素直になれるのか?
2月は花粉が気になり始める季節。あなたの周りには花粉症の症状が出ていても、「これは風邪だから」「絶対に花粉症じゃない!」と頑なに認めない人はいませんか...!?少しでも花粉症かも...と自覚すれば治療や対処ができるのに...。そんな「花粉症の症状が出ているのに素直に認めない人」を、僧侶でライターの稲田ズイキが、素直な自分を認められるよう説いていきます。
はじめまして。京都でお寺の副住職をしながら、ライターとしても活動している稲田ズイキです。
世界一敷居の低い仏教本を出版したり、『フリースタイルな僧侶たち』というフリーペーパーの編集長をしていたり、お坊さんだけどお坊さんらしくないこともしています。
今回、満を持して、僕が引導を渡したいのは、「花粉症を素直に認められない問題」についてです。
花粉症、素直に認められない問題
世にも奇妙な物語のように聞こえますが、でも確かに現実に存在する話。こんな人、身のまわりにいませんか?
毎年ある時期になれば鼻水をすすっていて、「花粉症なの?」と尋ねると、「花粉症じゃない!風邪だよ!」と食い気味で否定する人、「山育ちだから、花粉症なわけがない」と、根拠不十分なロジックを繰り出してくる人、「これは季節性の鼻炎だから……」と、もはや自白寸前の犯人みたいな人。
花粉症であるか、診断するのは医師です。しかし、花粉症かも…と自身が自覚しないと病院に行くことすらできません。自分が花粉症の可能性があることを認めなければ、治療も対策もできないので、余計につらくなるという負の連鎖に繋がります。
2月はそろそろ花粉が飛び始める季節。僕自身も花粉症なので、もし自分が花粉症を自覚せずに治療してなかったら……と思うと、ゾッとします。
僕の職業である「僧侶」の務めは、思い込みをリセットし、煩悩の自覚へと導くことで、この世の苦しみを少しでも減らすこと。つまり今回、僕が供養すべきは、この「花粉症を素直に認められない問題」であるはず。
そこで、今回は、友人でAIエンジニアのイヌイくんと対話してみたいと思います。というのも…
そう、花粉症逃れの疑いがあるからです。
実はイヌイは、高校からの同級生で、昔から毎年ある時期になったら鼻水をすすっていたのです。僕は「花粉症なの?」と尋ねたのですが、そのたびに彼は「花粉症じゃない」と否定してきた思い出があります。
ここはひとつ、僧侶として、友人としても、早く花粉症の可能性を少しでも感じてほしい。今回は、その一心で彼に連絡することにしました。「自分の心に正直でいる」あり方を後押しできればと、願いを込めて。
ただ、この時僕は、これが長い長い戦いの始まりになるとは、知る由もなかったのです。
第一章 僧侶は花粉症の自覚を持たせることはできるのか?
なに急に呼び出して。
ごめん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、イヌイって花粉症に似た症状出てるよね?
なに言ってんの?(笑)
じゃあ、ちょっと聞くんやけど、昔からある特定の時期に鼻水流してない?
出るよ。だいたい4月から7月にかけてかな。
その時期は、ほかの症状あったりする?
目が痒くなったり、のどがイガイガしたり、くしゃみも多いかな。ひどい時は鼻腔が痒くなることもあるわ。
じゃあ、外で布団を干す時に鼻がむずむずしたりさ〜。
あ〜、あるね。
鼻かみすぎて鼻が真っ赤になったりさ〜。
あ〜、あるある。
なぜか朝のほうがキツいことは?
あるわ〜!
それってさ、花粉症の症状に似てるけど、自分では花粉症かもって思わないの?
なに、またその話?花粉症かどうかは知らないよ。俺、ハウスダストとかも弱いし。
4月から7月にかけて、たまたまホコリがすごいことなんてないと思うけど。普段から花粉症の対策とかはしてるの?
花粉症ではないけどな。まあ、目がかゆい時は目薬を使ってたりとか、自分なりにやってはいるけど。
正直なところ、この時、もうこの任務は完了したと思っていたんです。次のひと言が出るまでは。
花粉症疑惑イヌイくんの屁理屈①
・特定の時期にだけ花粉症に似た症状が出てるだけで、「花粉症」って言い切れるの?
・(鼻をかみながら)あ、これ? 俺、この時期だけ、ハウスダストに弱いんだよね。
第二章 僧侶、大ピンチ
じゃあさ、俺が花粉症だってことを証明してみてよ。
証明…?
花粉症かどうかを認めるのは、医師の診断がないと。
それはそうだけど、花粉症と似た症状だから、花粉症かもよ?って言ってるだけで…。
同じ症状だからといって花粉症だと証明できたわけじゃないよね。全宇宙を探索しないことには宇宙人がいないことを証明できないみたいに。
何言って…。
証明責任がお前にある以上、俺の花粉症を認めさせることは絶対にできないんよな。
……。
この時、僕は絶対に相手にしてはいけない奴を相手にしていることを悟ったのです。
花粉症疑惑イヌイくんの屁理屈②
・医者以外に「花粉症だ」と言われてもなぁ。
・お前は証明できんの?
第三章 いろんな意味でもう手遅れ
そもそも分の悪い勝負をしていることに気付いてる?
勝負?
稲田は、花粉症か花粉症じゃないかっていうフィフティ・フィフティの賭けに出てるわけでしょ。でも、花粉症は日本国民の約30%しか発症していないというデータも見たことがある。つまり、先に出たところで負ける可能性が高いんだよ。
イヌイくんは、花粉症だという意識が全くない立場を続けるがあまり、論理武装を重ねてしまったようです。その結果、花粉症の疑いをかけてくる者を迎え撃つクセがついてしまったのではないでしょうか。
この悲しみの連鎖に終止符を打たねば。僕は僧衣の襟を正し、彼と対話を続けることにしました。
花粉症疑惑イヌイくんの屁理屈③
・確率論で言っても、花粉症だと主張するのはナンセンスなんだよね。
第四章 説法の不時着
仏教では苦しみの根源を固定観念にあると説きます。「こうあらねば」と決め込んだこだわりがあれば、必ずそこには現実とのギャップが発生し、達成されない苦しみが生まれ続けるのです。
大事なのは、自分は常に何らかの思い込みをしていると認識し、自分が見ている世界に対して疑いの目を持つこと。花粉症を素直に認められない問題は、凝り固まった自意識が原因の1つかもしれません。
「花粉症かもしれない」という自覚を持ってもらうこと…、それはつまり「イヌイの自意識を解き放つこと」にあるのではないでしょうか。
イヌイの気持ちを聞くために、早速、場の空気を整えます。
俺らも、もうそろそろ30歳か。なぁ、イヌイ、大人になるにつれて大きくなるものって、なんやと思う?
税金?
おっ、俺は自意識やと思うねん。自意識が大きくなったら、人は器が小さくなる。自分の裁量でしか、ものごとを裁けなくなってしまったりさ。
人それぞれだとは思うがな。
世の中には、良い我慢と悪い我慢があると思ってて。良い我慢は、誰かのためになる我慢で、悪い我慢は、誰のためにもならない我慢。「我慢」って言葉は仏教由来で、自分への執着心から自分を高く見て、他人を軽視する心を言ったりもするねん。
それで?
だから、するのなら誰かを幸せにする我慢をしようってことやな。花粉症を認めないのは誰のための我慢になってるんやろか。
あのさ、認めたほうが幸せになれるとか言いたいようやけど、俺がなんで病院に行かへんか知ってる?認めない方が、自分が幸せになれるということを知っているからや。
花粉症疑惑イヌイくんの屁理屈④
・花粉症だと認めないことが、俺の幸せなの。なぜなら……
精度の悪い会話になりましたが、偶然にも今やっと、イヌイの口から相手を迎撃する目的以外の言葉を聞けた気がしました。少しずつ本心に近づいてきた気がします。
第五章 そして悟りへ……
なんでイヌイは病院で診断してもらわへんの?
正直、長い間、花粉症じゃないと思って生きてきたから、花粉症である自分を認めるのが一番しんどいんよな。
なるほどなぁ、新しい自分を受け入れるのは大変やもんな。
あと、今まで花粉症やと疑いをかけてきて論破してきた奴の顔が浮かんで、なんか申し訳ないなって気持ちになったりもしたり。
自分が討ち取ってきた首の数だけ、武将(もののふ)は戦い続けないといけないもんなぁ。
花粉症疑惑イヌイくんの屁理屈⑤
・薄々は、花粉症なんじゃないかと思わなくは…ない。
・でも、認めちゃったらこれまでの自分が崩れてしまう。
・だから、絶対に、認めたくない。
イヌイの背負っているものが想像以上に重かったので、とっさに僕もよくわからないことを言っていますが、つまりは「もう引くに引けないところまで来ちゃった」ってことなのだと思います。
まぁ、それがお前の言う「自意識」みたいなものなんかもしれへんけど。
ブッダはこう言ってんねん。「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている」と。
なにそれ。
いつか死ぬなんて思いたくもないやん?でも永遠に生きられると思って生きる100年よりも、今日もしかしたら死ぬかもしれないと思って過ごす1日のほうが価値のあるものやってブッダは言ってるんよ。2500年も前から、人間って見たくもないものを見るのに一番勇気がいるってことなんかもな。
ふーん。
つまり、花粉症かもなって少しでも思ったら、苦しみから距離を置く生き方の第一歩になるかもしれないんよ。
ふーん。
結局、この後に続いた話でも、イヌイは「花粉症かもしれない」と思ってはくれませんでした。でも、もう10年の付き合いになるので、この「ふーん」には大きな大きな意味が含まれていることが僕にはわかりました。もちろん、みなまでは言いませんが。
花粉症の自覚があれば、対策ができるんです
まぁ、イヌイは自分が花粉症だと認めてはないと思うけど、念の為、いろんな花粉の対策方法を教えとくな。まずは病院に行くことが先決だけど。
ふーん。花粉症対策にもいろいろあるんやな。まぁ、俺がすることはないやろうけど。
こうして、「自分が花粉症であることを素直に認めない問題」という長い長い僕たちの戦いに、1つピリオドを打つことができたのでした。もちろん、解決したわけでもないのですが、その根底にある人間のしがらみに少しでも触れられて僕は嬉しいです。
この世の中には、わかっているけど見たくない現実でいっぱいです。たとえば、僕は健康診断の結果通知を1ヶ月もの間、封を開けずに放置して、ようやく開ける時は熱々のお鍋を触るみたいに、ビクビクしながら薄目で開けたりしました。その怖さの正体は、健康である自分のままでいたいという気持ちだったのだと思います。
でも、「今」は過去の連続から成り立っているのと同時に、刻一刻と平等に新しく与えられているもの。どんな瞬間も「私の今なんだ」と受け止めることが、素直に生きるというあり方なのだと思います。
さて、この対話の一週間後、なんとなくイヌイにメッセージを送ってみました。
いや、花粉症って認めたんかい。
・当記事に掲載の情報は、執筆者の個人的見解で、ライオン株式会社の見解を示すものではありません。
この記事を書いた人
稲田ズイキ
1992年、京都・久御山町にある月仲山称名寺生まれ、副住職。煩悩クリエイターとしてリアル・ウェブ問わずさまざまな企画をする。フリーマガジン『フリースタイルな僧侶たち』の三代目編集長。著書『世界が仏教であふれだす』が2020年12月に発刊。
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下記のコメントを削除します。
よろしいですか?
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