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爽快で気楽な私の家事|ルーツはアヴァンギャルドな母(ヤマザキマリ)

爽快で気楽な私の家事|ルーツはアヴァンギャルドな母(ヤマザキマリ)

『テルマエ・ロマエ』の作者であり、漫画家、随筆家として忙しく活動するヤマザキマリさん。イタリアと日本の往復生活の上、海外での仕事も多い。一方で原稿執筆活動は長時間部屋にこもるので、仕事は常に家事と隣り合わせ。その忙しさは想像を絶する...はずなのに、ヤマザキさんには"家事は気楽なもの"。その姿勢のルーツはアヴァンギャルドなお母様にあるといいます。

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ヴィオラ奏者の母から教わった自分で生きていく術

家事というものは、子どもの頃にどういう環境に育ったかによって、捉える姿勢が変わってくるものなのではないでしょうか。

 

私の家には家事をする人がいませんでした。ヴィオラ奏者の母は私が生まれる前から、自分とは縁もゆかりもない北海道という地へ移動して、設立されたばかりの交響楽団に入団し、オーケストラの仕事がないときには仲間たちと組んで弦楽四重奏でのアルバイトをしたり、地元の東京に戻ってシャンソン歌手のバックで演奏をしたりと、まさに音楽に人生を捧げるような生き方をしていた人でした。結婚をした相手の職業も指揮者だったので、おそらく同業者である母には主婦的なことを要求するような人ではなかったと思われます。そもそもアヴァンギャルドな精神性を携えた母も、当時の日本男性が抱くステレオタイプな女性像を自分に求めてくるような男性には、恋愛感情など抱くことはなかったでしょう。

 

結婚わずかで夫に他界され、女手一つで私と妹を育てることになった彼女が、常に私たちに繰り返していたのは「この人となら一緒に暮らして楽しい、と思える人が現れなければ無理に結婚なんてしなくていいよ。結婚は義務じゃない」という言葉です。つまり、生き抜くための手段として結婚を選ぶな、そのためにもまずは自分で自活して生きていく術を身に着けろ、ということを口が酸っぱくなるくらい私たちに言い聞かせていたのでした。

 

しかし、私は音楽人生に全身全霊を注ぎつつ、人生を謳歌する母の観察を楽しむ傍らで、自分の周りにいる友人たちの家庭と自分の家庭環境の違いを、どうしても意識に留めずにはいられませんでした。

 

クラスの子どものほとんどが「ただいま」と家に帰れば優しそうなお母さんが待っていてくれる。宿題をしていると、傍らからおやつと飲み物を出してくれる。家の中はきれいに掃除がゆき届き、食器棚にはきれいに配置された皿や茶碗が整然と並んでいる。かたや私は鍵っ子で、鍵を忘れたときは空き巣のようにベランダをよじ登って木枠窓を揺らし、鍵を外して家に侵入、誰もいない家のテーブルには母の握っていったおむすびと置き手紙、おかずを調達するための千円札。狭い団地の部屋の中に所狭しとピアノや楽器、大きなステレオが置かれ、私たちのいるスペースなどありません。

 

なにより、私と違ってお金持ちの裕福な家育ちだった母は家事のノウハウが無く、掃除や洗濯も必要最低限度、彼女の手料理と言ったらシチューやカレーなど家庭科の実習で習うようなメニューばかりでした。お弁当を頼めばプラスチックの弁当箱いっぱいに、砂糖とバターのクリームを塗った食パンが敷き詰められていたりする。時には茹でたとうもろこしが2本という時もありました。時々取り憑かれたように、手作りのアップルパイやパンにはまって、貴重な自由時間を使ってはそればかり作ろうとするので、子供心に「加減のわからない人だ」と思っていたものです。

  

ところが母自身は、自分に家事のスキルが無いという自覚がありませんでした。お弁当箱の中身が砂糖バターサンドだけだったことを激しく訴えても、「あんなにおいしいものなのに」と、何がいけなかったのかさっぱりわからない様子でした。母は周りと自分を比べない人でした。だから、よそ様がこうだから、うちはこう、という行動に出ることは一切ありませんでしたし、身の丈以上に大きく見せるような虚勢はみっともない、と考える人でもありました。

 

私たち娘は、シングルマザーでありながらも一生懸命生きている彼女の姿を見ているうちに、責めたり悲しませたりする気持ちは起こりませんでした。だったらあとは、自分たちでやるのみです。お友達が家に遊びに来るときは、自分でわざわざストローを差したカルピスやお菓子をお盆にのせて、あたかも一般の家にお母さんがやってくれるように振る舞っていましたし、お弁当も母には頼まず、私と妹で作ることにしました。稼ぎ頭はこちらには気を使わずお仕事頑張ってください、という姿勢でやりくりしていくことに決めたのです。要するに、我が家では子どもが主婦的要素を担っていたのでした。

自然と身に付いた家事習慣

今でも老齢になった母の実家に時々訪ねると、私が最初にやることといえば掃除です。「ちょっと一体なんなのよ、着いて早々まるで汚い家にでも入ったみたいに!」と母はそんな私に呆れますが、決して嫌味ではなく、昔からの習慣もあってつい条件反射でそうしてしまうのです。たしかに、仕事をリタイアしたあとの母には家のメンテナンスに意識を注ぐゆとりも生まれました。ただ彼女の大雑把さは掃除のやり方にも反映されているので、棚の角にホコリが溜まっていたり、冷蔵庫に期限切れの商品が入ったままになっていたりするのは常です。洗剤を信用したがらない母の洗う食器がどことなくベタベタしているので、子どもの頃と同じくそれらもすべて洗い直します。「いやあねえ、もう」と母はそんな私を制しますが、私にとって母のためにする家事は、ほぼ無意識の行為です。面倒だとか負担だなどと感じたことすらありません。もちろんやる気が起こらなければ何もしないまでです。

 

今思えば、一生懸命働く母がいたおかげで、私には気がついたらごく自然に家事をするという習慣が身についていました。母の教え通り私は結婚に執着しないまま大人になりましたし、今の伴侶も母と同じくやはり私に家のメンテナンスを期待するような人ではありません。むしろ私が原稿仕事の傍らで掃除をしていると、掃除嫌いな夫には嫌がらせのように思えてしまうようですが、そんな時は「勝手にやってるだけだから」と断ります。むしろ、漫画でもなんでも思いがけないネタというものは、無心に家事に勤しんでいる時に出てくることが多いので、そういう意味でも積極的に掃除機をかけたりしています。

 

何はともあれ、私にとっての家事というのは義務感をともなわない、爽快で気楽なものなのです。

  

・当記事に掲載の情報は、執筆者の個人的見解で、ライオン株式会社の見解を示すものではありません。

 

この記事を書いた人

ヤマザキマリ

ヤマザキマリ

漫画家・随筆家。東京都出身。17歳の時に1984年に渡伊、フィレンツェの国立アカデミア美術学院に入学。美術史・油絵を専攻。1997年にマンガ家としてデビュー。2010年古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』(ビームコミックス)で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年には、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。

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