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「まずは、自分自身が一人前になること」ジャズシンガー・綾戸智恵が語る介護

「まずは、自分自身が一人前になること」ジャズシンガー・綾戸智恵が語る介護

多くの人にとって、親の介護は突然やってくるもの。まだ介護が始まっていない人でも、「いつか自分も親を介護する立場になるのでは」と想像して、不安を感じてしまうのは当然のことでしょう。今回は、15年以上実母の介護を献身的に続けるジャズシンガー・綾戸智恵さんに、自身の介護体験と、そこから見えた『介護において大切なこと』を伺いました。

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綾戸 智恵(あやど ちえ)

綾戸 智恵(あやど ちえ

1957年大阪府生まれ。ジャズシンガー。17歳で単身渡米、1991年帰国。1998年に40歳でプロデビュー。幅広い選曲と笑いあふれるトークで織りなすステージは、ジャズファンのみならず多くの老若男女を魅了し続けている。実母の介護生活を15年以上営み、介護に関する講演も多い。最新アルバム『DO JAZZ Good Show!』好評発売中。2020411日新宿文化センターにてコンサート開催。

綾戸智恵オフィシャルサイトはこちら≫

歌手・中学生の母として、フル回転の時期に介護生活に突入した

綾戸智恵 歌手・中学生の母として、フル回転の時期に介護生活に突入した

綾戸さんの介護生活は2004年、ジャズシンガーの全盛期に突然始まります。お母さまが脳梗塞で右半身麻痺になり、ベッドでの寝起きや食事、トイレなど、日常生活が人の支えなしでは思うように営めなくなってしまったのです。


綾戸「仕事中は母を病院に預け、楽屋入りして自分の支度ができたら、中学生の息子の夜ご飯を作りに一度家に帰る生活でした。息子は高校受験を控えていたので、大変でしたね」


右半身に麻痺があれど、倒れた後も自身が購入した株の値動きを気にするほど、頭がしっかりしていたお母さま。家でも病院でもリハビリを続け、当初要介護4だった介護判定が要支援24ランクアップ)まで軽くなりました。しかし、やっと自力で歩けるようになったある日、事件が起きます。


綾戸「病院での最後のリハビリに行く日のことよ。母が『今日はひとりで歩く』と言って、自宅マンションからゆっくり杖で歩きはった矢先に、自分の背よりも高い荷物を抱え走ってきた宅配業者の兄ちゃんとバ〜ンとぶつかってしまって…。母は、足が付け根から曲がってて、大腿骨骨折やった。そこから認知症が始まってね」

認知症になった母に言われた、忘れられない一言

綾戸智恵 認知症になった母に言われた、忘れられない一言

高齢者は入院による急激な環境変化、さらに治療優先のための受動的な生活によって、知的機能が衰えることがあります。綾戸さんが母の認知症の兆候に気付いたのは、こんな出来事からでした。


綾戸「骨折で再度入院したら、ある日、母が病室で『布団の上を蜘蛛がウジャウジャ走る』と言い出して…。それで認知症の検査をしたの。時計の絵を描かせる検査で、針が描けなかった。私は『うちは針の時計じゃありません。デジタル時計ですねん』って言ったけど(笑)、先生から『お母さんは医学的に見て認知症ですね』って言われてしまって。今までひとりでご飯を食べると物を下に落とすとか、物理的な悩みだけだったのに。まさか母の頭のコンピューターがおかしなると思わなかった」


昔、映画で観た認知症のお年寄りのように、母は人として分別のつかない行動をしてしまうのだろうか。行動に歯止めが効かなくなってしまうのだろうか。しかし綾戸さんは、不安にはなっても「なぜ私ばかりつらい目に遭うんだろう」とはあまり思わなかったそうです。その理由は、認知症初期のお母さまが綾戸さんに介護の覚悟を決めさせる一言を放ったからでした。


綾戸「母に『私、認知症みたいやなぁ、いつかアンタのことがわからなくなるかもしれん』と言われたんですよ。『歳を取り、いろいろなことを忘れるようになるんやろうなぁ、けどアンタが私のことを忘れんかったらええのよ』と。要は、母にとって認知症は逃れられない現実やけど、今までの暮らしの中で本当に母の言いたいことは、アンタがわかるやろと。まあ、心理やなく真理やね。認知症が進んで、今の母は言葉がうまく出ません。でもこの一言があったから、母の生き様をしっかり見つめなと思ったし、毎日『元気な時なら、お母ちゃんは何て言うかな』と考えながら生活できるようになりましたね」

周りにいる人たちみんなを味方にする

綾戸智恵 周りにいる人たちみんなを味方にする

その頃の綾戸さんといえば、シンガーの仕事を常に目一杯入れていました。“頼れる人はすべて頼って”日常生活を成り立たせていたのだそう。


綾戸「私はどんな人ともすぐ喋るタイプ(笑)。デイサービスも病院も使って。在宅の看護師さんにも来てもろうてたし、あげくにはご近所さんも。道端で車椅子の母が『忘れ物をした』と言うたら、近くの郵便局の人に『すみません。母をちょっと見ててください』ってお願いしたこともある。
預けられない時は母を仕事場に連れてって、コンサートの開演直前までトイレの介助をしてたこともありましたね。『5分押しで開演いたします。母のトイレが済みましたら、直ちに参ります』って、自分で会場のアナウンスしたっけ(笑)」

綾戸智恵 周りにいる人たちみんなを味方にする

周囲を巻き込みながら、個人事務所の看板シンガーとして奮闘する綾戸さん。


綾戸「母が『私の面倒は、みんなにとってはえらい雑用や。でもアンタのステージのために努力して助けてくれさんがいる。そんなコンサートができるようになったんやなぁ』って母が言うんですよ。どこが認知やねんと、私びっくりしました。とはっても、やはりひとりではできなかった。みんなに感謝してますよ。と同時に、『人様にご迷惑をかけてでも、本当にやりたい仕事か?』と自分に問いました」

介護生活の考え方を根本から変えた、息子の言葉

周囲の助けに支えられながらも、家事などは毎日少しずつ積み残しが増えていきました。そして介護生活4年目を迎えた2008年、ついに無期限でジャズシンガーの活動を休止。お母さま24時間体制で向き合う生活に入ります。メイクもせず、服は5枚のTシャツをひたすら着回す日々だったそう。
そんな中、ゲストとして出演する仕事の依頼が入り、綾戸さんはお母さまにこう言われたのでした。「毎日化粧もせんと、少しはきれいにしなさい」と。


綾戸「母の何気ない言葉の後、仕事に行っていいかと聞いたら、『行き!終わったら、また家に帰ってきて』って賛成してくれた。母は認知症なんやけど、私がしなければいけないことをわかっていたのかも。母に背中を押されて、1年半後に復帰しました。なんか不思議な気分でしたね」


その後、仕事は順調に。何ごとも手を抜かない綾戸さんは「カムバックしたからには仕事も介護もうまく回さないと」と気を張っていました。2010年、翌朝に地方の仕事を控えながら、綾戸さんが夜中に眠らないお母さまに付き添っていた時のことです。ようやく母が寝ると、朝起きる時間まで2時間しかない。無理やりにでも眠るために飲んだ睡眠誘発剤がきっかけで、翌日病院に救急搬送されたのです。その時、息子さんからかけられた言葉が、綾戸さんは自分の介護生活を根本から変えたといます。

綾戸智恵 介護生活の考え方を根本から変えた、息子の言葉

綾戸「息子に『お母さん、おばあちゃんに尽くすのはわかる。僕にとっても、大事なおばあちゃんや。でも、お母さんの終着駅とおばあちゃんの終着駅は違うとこやねんで』って言われて。要は『介護をやり過ぎて死んでしもたらあかん』と。これは響いた。自分の力を過信して、母の介護に一目散やったなって…」


ちなみに綾戸さんが入院していた5日間は、話を聞きつけたデイサービスのスタッフさんが人海戦術でお母さまの面倒を見てくれていました。綾戸さんは当時、日中のデイサービスしか利用しておらず、夜も母の介護で無理がたたっている状態。そこでなんとか自分のからだを休めようと薬を飲んだことで、入院騒動が起きたのでした。


綾戸「私が退院すると、ケアマネージャーに『お母さんが泊まれる施設を紹介しますから、一緒に見に行きましょう』と言われました。『もっと上手に介護サービスを利用してください。泊まれる施設に預けたら、倒れてお母さんを5日間も放っておくような失敗はもうしませんよ』と。改めて一途な自分を変えないと、と思ったね」


一方、この時はお母さまも「娘に何か大変なことが起きた」と悟っていました。綾戸さんの入院中「智恵ちゃんは?」と安否を聞き続け、しっかりした母として振る舞っていたのだそう。


綾戸「母は認知症が進んでも、母親の部分が全く劣化してないの。自分が朝ごはんに何を食べたかは忘れても、美味しかったことは覚えてる。あぁそうそう、一度母が、私が仕事に行く時、デイサービスまで送って行ったら『どこ行くの?』と訊くので『羽田ですよ』と言うと『送って行こか?』って(笑)。そして毎日『いってらっしゃい』は欠かさないんや。

認知症になっても、親子関係が逆転したらアカン。母親の前では、いつでもお母ちゃんを頼る私でいる。百貨店に母と行って、『どっちの服が似合う?』って聞いても、ロクに服も見んと『こっち!』って言うけどな(笑)。でも母が選んでくれた服を着る。そのプロセスが大事なのかなと。そういうことをやるようになってから、母は落ち着き出しましたね」

綾戸智恵 介護に心構えはいらない

さらに、綾戸さんは「介護に心構えはいらない」といいます。大切なのは、「本当の意味での親孝行。とにかく母のために何でもしてあげるのではなく、私自身が大人として一人前になること」だとも。


綾戸「ここまで活動を続けてこられたのは、私の力だけじゃない。周りの人たちのおかげや。それは間違いない。もちろん私もがんばりましたよ。でも、これもがんばれる私に育てたあのお母ちゃんのおかげですよ。

今はあまり喋らなくなった母ですが、いろいろ思い出すんです。私が子どもの頃、こんなこと言われた、あんなこと言われたってね。母の言葉が聞こえてくるんです。もしかしたら、当時は聞こえてても私が理解してなかった。今60歳を過ぎて少しずつ母の言葉が、真理が、わかってきたのかなぁ。

認知症になった時、母は『アンタが、忘れんかったらええ』と言ったでしょ。その意味が今はわかる。自分で言うのも何やけど、ええ娘に育ててもらいましたんで(笑)。孝行せんとしゃ〜ないです。

それに、会う人会う人に『お母さん、元気?』といつも訊かれる。スタッフ、関係者だけでなくファンの方々まで。親が安心できるような子供になりたいと、60歳過ぎても思ってます」



取材:横山由希路  文:Lidea編集部
編集:ノオト  撮影:栃久保誠

 

・当記事に掲載の情報は、取材対象者の見解で、ライオン株式会社の見解を示すものではありません。

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